RUiの闘病日記-2

私の真実…ノンフィクション

同※6/13追記あり

 

 

自分に都合の悪かったことだけをなかったことにすることはできない

それはただの卑怯でしかない。最低な行為

 

例えばいじめ

いじめという事実を隠すクラス・学校・当事者

 

私は同種だと思う。

 

過去いじめられていた人こそ分かること

その時受けた傷は、一生深く残る

 

どんなことがその人にとって一生ものの傷かわからないから、自分勝手になかったことにしちゃいけない

勿論、いじめられてた人は相手のことどうでもいいだろう、けどいじめてた側はもっとどうでもいいことなんだ。反省して誤って更生してるならまた別かもしれないけど

それでも被害を受けた側は早々許せたりしないだろう。傷は治らない。中には開き直りかふっきれかできて全然何も気にしてませんな人もいるかもだけど

これが殺人なら尚更

 

私はいじめをしていた人間は大人になって子供ができた時、自分の子供がしてるもしくはされていると知ったらどう思うのか、何を言うのかすごく興味がある

 

相手に忘れようとか忘れたいなんて思ったらそれはただの自分勝手じゃないのか

私の場合、貴方のしたことも忘れるからそっちも忘れてと言われたような気分

振り回して深い傷だけ残して…お互いのためがよく分からない

 

忘れることが悪いというわけではないけど…状況によるということ

まさに過去のメンヘラとの事件はお互いのために離れようだった。どっちも悪化してダメになっていくばかりだから。お互い病院送りじゃ遅い

向こうはちょっと遅くて残念だったけど…

 

何故相手の都合悪いことに優しく我慢しなきゃならないのか

私は散々逃げられてきた。だからこそ逃げられるということはさせてたまるかと思う

悪化して生活支障でてどれだけ悔しいと思う、辛いと思う。きっと分からないだろう

ずっと逃げてきたなら相手のためにもならない。必ず波のように返ってくる

 

かと言って喧嘩したいわけじゃない

向き合いたいのだちゃんと……自分に正直になって(これ大前提)

失うのも、逃げられるのも…もう二度と嫌です

自分の始末はしてもらうものでもなく、自分でするもの

 

私の思うお互いのためは向き合えるなら向き合うことだと思う。勿論自分自身にも

というか自分のためでもあるかもしれない

結局言葉なしに相手のことなんて分からないもんなんだなと

 

 

たまにこんな風に同じこと思い出しながら考えるんだよねぇ…やだねぇ

なんというか今は〝逃げることは大事〟なんて風習だけど…使いどころを間違えてる人が多い気がする

何でもかんでもではない💧都合が悪くなったから逃げるでもない

 

一度も出来なかったことができるようになったとき、人って強くなるんだけどな…

 

宮崎駿が言ってたな

映画のワンシーンを描いて持ってきた人の描き方を見て、〝このキャラはこうじゃないんです。もっと必死に前のめりで走る。目の前に障害(物理)があっても走り抜けるんです。こんなぶつかりそうな顔はしない。こういうのはその人の性格が出るんですよね。振り返ったら皆そういう生き方でしたね〟

的なこと

因みに、キャラってのはアシタカのことなんだけど