RUiの闘病日記-2

私の真実…ノンフィクション

友達12/16追記

 

 

某有名なYouTuberさんらが自分達が嫌われてるお手紙を読んでいた

普通に受け入れてた

これが自分達の自然体だから、そう思われても仕方ない、と

 

友達がたくさんほしい、そう思うことは別に悪いことじゃないし、楽しいことするだけの友達がいるのも悪いことではない

 

でも現実、誰にも嫌われないように生きる、というのは多分無理なのだ

好いてくれる人がいれば嫌いに思う人もいる、至極当たり前の話だ

私の個人的意見だが、誰にも嫌われたくない…、皆にいい人と思われたい、そういう精神で人と当たり障りなく生きてる人は、すごく誰よりも臆病な人なんだろう

何よりとても気を張って疲れないか?と思う

来須は言っていた

〝仮面をつけていれば皆に好かれるから〟と

 

本当の自分でいられない、本当の自分を知られるのが怖い

 

何人も友達をなくしてきたが、勿論皆大事だった

けど、つい最近気づいた

私と本当にずっと繋がっている友達は

 

例えトラブルが起きても、下手に手を貸したり口出ししたりしない、自分で解決しようとしてるなら邪魔はしない

でも助けを求めてきたら、話を聞く、そしてできる助言をし下手に介入はしない

最終的に選ぶのは自分自身。誰かに言われたからそうしましょうじゃない

そんなすごく大人な人しかいない、ということに

間違いや失敗があっても、すぐ嫌悪や絶縁するではなく冷静に見てくれる。時には叱ってくれる

そして許してくれる

 

当人同士の問題であっても、味方を作ってあいつはこんなやつだと広めたり、まして匿名で人を罵声するような真似もしない

よってたかってそんなことをするのは、子供のイジメと大差ないと思ってる

 

そういう友達は本当にヤバくなったり、ネタに飽きてしまえば関わってこないだろう

最初は散々介入してたのに、後々関係ないからと離れるだろう。最後は自分の問題だろと。自分でどうにかしろと

 

私と縁の切れてない数少ない人達はそんな事をする人は一人もいない

私自身も人のトラブルに下手に介入しない質だ

自分は部外者だとよく分かっているから

勿論相談されれば力になる

例え年上であっても、叱る時は叱る

でも最終的に解決するのは自分自身、自分以外の人間ではない

 

そして普段から特に頻繁に会話はしない、別に疎遠なわけでもなく、ただそれが自分達にとって一番自然体でいられる関係、某YouTuberさん達と同じだった

 

お互い仮面で自分を作ったりしない、自然体でいられる関係

 

私は、そんな友達がいればいいと改めて感じた

薄っぺらい上っ面の友達はいらない

口だけの人もいらない

仮面友達もいらない

わざわざ匿名で人を罵声する人もいらない

 

数が少なくても、そんな本当の意味でお互い信頼して自然体でいられる人がいればそれでいい

例え嫌われる数が多くても、それに恐れもしない

人は誰かに嫌われるのは当たり前なのだから

嫌悪してくる人に何を言われても別に特に困らない

事実も私のこともよく知らないのに、嫌悪する人の言葉を信じて同じく嫌悪するような人も、困らない

自分自身の目で人を判断してほしい

 

その時大事と感じていても、いざトラブルが起きて離れてしまうなら

結局その程度の関係だったんだろう

人は何かトラブルが起きた時初めて本性がでる

そこに今まで仲良くしていた、なんて関係ない

 

人って案外そんなもんだと

散々経験してきたから

 

自分らしさを壊してまで、無理矢理背伸びや作ったりしない

そもそも私は裏表な性格を作ったりできない、普段から本音だ。言い方話し方には気をつけるけど

 

私のもつ友達の概念は、これでいい

私は聖人君子ではない、誰にでもいい人ぶったりもしない

しなくても、何故か寄ってくる人は寄ってくる

仕事場で誰ともほぼ関わらず、ずっと一人で仕事してたらそんなことがあった

一人でいたことに苦は全くなかったのに

 

 

そして

〝自分のフォロワーさんに限ってそんな人はいない〟

そんな現実はそうそうあり得ないということ

繋がりが多ければ多いほどに

 

趣味で繋がってる世界なんて狭いものだ