RUiの闘病日記-2

私の真実…ノンフィクション

選ぶ

毎日何度かは何かの選択にぶち当たりますよね

ピンからキリまで

 

時に相手を優先して自分が折れたり、両方欲しいけど、片方しか選べない究極の選択だったり

物ならね、また次買えばいいとかチャンスもあるだろうけど、人となるとそうはいかない。若しくは自分の人生に関わることなら。

絶対あるんですよね、そういう選択肢をせざるを得ない時。逃げ出したくても選ばなきゃいけない。どっちもなんて許されない。現実のシビアさですねぇ…

 

そんな時こそ自分に素直になってほしい。(前の話と被るけど) 私も勿論選択の嵐でしたが、選択権がない時がある。多分それは自分が弱い立場の時とかね。

強制的に選ばされたものは自分の本音ではない、ただ周りに従ってるだけ。楽かもしれないけど、文句も言えない。

選択肢は常に自分の素直な気持ちでいいと思う。どっちもなんて都合のいいことはできないからこそ、自分の本当に大切なもの、一時的に大事なものなのか、一生大事にしたいものなのか、それは自分で決めて選んでいい。自分で決めたんだから文句言われる筋合いはない。嫌味とか丸め込もうとする人もいるだろうけど、それは相手の理想・希望であって自分のではない

ただ時には、捨てなきゃならないものもある…何を選ぶのが自分の幸せか…望みか、よく想像してみよう…って思いますのん。例えば物や人に限らず、今までの自分とか、時に信念、思考、色々ね

でも自分で決めたことだから、覚悟もいるだろうし、怖さもあるよね

 

これは私の経験上なんだけど、マジでやばいこれはやばい…って時に覚悟決めてなるようになれ!って意気込んでたら、それはもう恐ろしく予想外で呆気ない終わり方、なんて割と多かった。もう放心ですよ…今までの緊張とかなんだったんだよって笑

昔、とある友達が仲違いして、あまりにも…だったのでお前らええ加減にしろと、仲介に入って話したことがある。もうバチバチにキレてる。とりあえず話し合いする前に言うことがあるだろうと…2人は嫌々でも謝りました。後は喧嘩にならないように、口はほぼ出さず2人の話を聞いてた。一人ははっきりズバズバ言うけど一人は自分の気持ち・思考を言わない。いつもそう人に言われたからとか親が言ってたから…つまり人の意見のみ。

私は「誰かから言われた聞いた話なんて聞いてない、君の本音を聞きたいの」と言った。すぐには言わなかったけど、はち切れたように吐き出し出した。私も初めて聞いた。ホントに抑えてたんだろう…店内に響くくらいだったから。

そしたら私はホッとした。「言えるじゃない、なんかすげぇ安心した。言ってみてどんな気分?」

彼女はしこりが取れたような、スッキリした…と

結果仲直りはしなかったけど、お互い言いたいことを言えた。悔いはないだろうと…お節介かな私…

 

最近は仮面被って世渡りしてる人が多い気がする。それが楽なのか慣れなのか知らないけど…本当の自分じゃないならいつか剥がれる。実は結構しんどいと思う。剥がれる時は結構突然。でもそれが相手がずっと抑えて言いたくても言えなかった事なら、私は全部聞く。その上で自分の感じた意見を言う。

喧嘩するのは本意ではない

 

社交辞令は大事だ、仮面を被ることが全部悪いとは思わないけど、皆仲良くハッピーに、じゃないけど

本当にずっと仲良くしてくれるのかなと不安と戦いながらの偽りの平和か素直な自分か…素直の最強なところは裏表がないってことなんだよね、天然ともいうかな?

それすら装ってる器用な人もいるけどね…自分のいいところまで隠しちゃうのは勿体無いよなぁ

 

なんていうのかなぁ…ちょっと悪い面が見えた方が人間らしいというか、ロボットじゃないんだから

いいじゃない弱虫なら弱虫で。弱虫だって窮鼠猫を噛むっていうんだし

 

今の私はもう他人のレールは歩かない。どうせ不安を抱えるなら、自分に素直でいたい。自分らしく

叩くなら叩いてればいい、何かしらの感情が現れてる証拠。そんな事より明日のご飯どうしようとか考えてる方がいいや

今回のことで成長したのか退化したのか…これが私の選択だ。何個か前の日記にも似たようなこと書いてるけど。自分の在り方をちょっと変えただけ

ある意味自由…人がいないだけで

 

自分の溜まりに溜まった言いたかったこと吐き出すとめちゃくちゃ気持ちいいぞ笑(経験談)

問題は、それを冷静に受け止めて聞いてくれる人かどうか、かもね

 

私が唯一選択してもらえなかったことがあるとしたら…〝支えてもらうこと〟かもしれないな